The Plants in the Voynich Manuscript

1912年、アメリカの古物商ウィルフリッド・ヴォイニッチはイタリアの修道院で一冊の古文書を手に取った。元々あった表紙が失われたのか、タイトルや著者の表記もなく地味な佇まいの本だ。しかしその中身は、未知の言語で書かれ、多数の奇妙な挿絵に彩られた他に類を見ないものだった。以後、公開されてから現在に至るまで100年以上にわたり、各国の言語学者をはじめとした多くの人々がこの謎めいた本の解読に挑み、暗号説、人工言語説、古語説、錬金術師によるデタラメ説など様々な可能性が示唆されてきた。研究によって15〜16世紀に書かれたことや何らかの秩序ある文章列であることが明らかになったが、未だ完全な解読には至っていない。
発見者にちなんで『ヴォイニッチ手稿』と呼ばれるこの本は、挿絵から判断して植物、占星術、生物学、天文学、薬草の章に分けられ、そのうち植物について書かれた部分が現存する240ページの約半分を占める。植物はいずれも詳細な説明らしい文章と共に細かく描かれているが、当時の資料を調べても実在は確認できていない。誰が、何のために、架空のものの説明にこんな労力を割いたのだろうか?

本作ではそれらの植物のうちいくつかをモデルにして写真を合成し、現代のシチュエーションの中に紛れ込ませている。フェイクを疑われるまでもなく、これらが作られた写真であることは明らかだ。花と葉のありえない組み合わせや形、不気味な根。しかし部分だけ見れば、既存の種に似た特徴を持つものもある。およそ30万種とも言われる植物の世界では、日々人工的に新種が作り出され既存の種もゆるやかに姿を変えており、未開の領域や過去や未来に似たような種が存在する可能性もないとは言い切れない。時空間の範囲を広げるにつれ、想像と現実の生物の境界は揺らいでくる。これらの写真はいかにも偽だが、私たちの与り知らないどこかで一部は真にひっくり返っているかもしれない。こういった、何の役にも立たない想像を否定しない大らかさがあってもいいのではないだろうか。

『ヴォイニッチ手稿』の内容は、仮に解読できたところで似非科学の域を出ず、かけられてきた苦労に見合うような学術的収穫は得られないかもしれない。しかしこういった科学とフィクションの境界にある非合理的なものをおもしろがり、財産や時間を費やしてきた人間はいつの時代にも存在した。解読は真剣に取り組まれてきたのだろうが、その根底にあったのは、見返りも効率も求めないある種純粋な閑暇の愉しみだったのではと想像する。16世紀に大枚をはたいてこの本を手に入れた物好きなローマ皇帝も、17世紀に友人から解読を託された高名な司祭も、20世紀に軍務のかたわら組織的に研究しようとした暗号解読の天才も、21世紀にウェブ上で公開されたデータにアクセスする世界中の有名無名の人々も皆、時代を超えて同じ煙に巻かれている。